蛸(たこ・タコ)のボイル・蒸しボイル加工品、キザミタコ(たこ焼き・タコ焼き)、取扱商品は「たこの唐揚げ」「たこの煮付け・桜煮」「たこめしの素」「たいめしの素」「烏賊(いか・イカ)」ならお任せ!

めざせ42.195km?

日々の晩酌をひかえ もう直ぐ4か月! 我ながら良く続いております。

家計には優しいし、体調も良いし、良い事ばかりだと思っておりましたが、摂取カロリーが減ってしまい大幅に体重が減ってしまいました。減ったと言っても二十歳頃の体重に戻っただけですので心配はしていないのですが・・・。それでも若い頃よりも筋肉量が低下しており、ものすごく貧弱な体つきになってしまい「こりゃいかん」という事で、日々の筋トレに加え、ジョギングも始めました。

そういうわけで、めざせ42.195kmです。  健康的なオッサンを目指します。

鉄道ファンからの投稿(その69)

日本は何故左側通行なのか?

実は以前、世界は左側通行だった

世界が左側通行だった最古の証として、古代ローマ(紀元前753年〜紀元前509年)の遺跡から発見した、ピストン輸送で走っていた荷車の轍(わだち)の形跡から、左側通行になっていた事が判明しています。

古代ギリシャや古代エジプトでも、交通インフラは充実していないものの、おおむね左側通行だったことを考古学の専門家が分析しています。

「利き手」と「通行方向」が密接な関係にあった

3万年前から世界人口の8890%が「右利き」だといわれていて、左利きの割合が右利きより多い民族は世界には存在しないそうです。この利き手と、世界が左側通行だった理由は密接な関係にありました。右利きの場合、左側の空間よりも、利き手の右側の空間が広くなるように、位置をとるのが合理的です。

中世以前の旅路は、極めて危険な環境下にありました。そのため、貴族や兵隊ではない一般市民でも、剣や槍などの武器を所持して、盗賊や敵から身を守りながら移動し続けなくてはいけませんでした。

前方から来る敵を迎え撃つには、利き手である武器を持つ右側に敵を回した方が都合が良く、鈍い左側が敵から遠ざかって安全なので、左側通行が原則であったということです。

鉄道ファンからの投稿(その68)

日本は何故左側通行なのか?

日本の江戸時代は左側通行だった事実を、裏付ける文献があります。

ドイツ人医師のケンペルは、16901692年(当時 五代将軍綱吉)に日本に滞在して、日本での見聞をまとめた書物『日本誌』を執筆しました。

長崎街道、瀬戸内航路、東海道を巡ったケンペルは「日本の道路は清潔に保たれていて、行き先を示す標識が設置され、左側通行のルールが徹底されていた」と、日本の道路の充実ぶりに驚いたと著書の中で記されています。

このことから、少なくとも江戸時代初期には、左側通行が日常だったことが判ります。

日本の道路が左側通行の理由

では、なぜ日本は左側通行になったのでしょうか?

当時、日本の路地は大変狭い場所が多く、対面で右側通行になったときに、左腰に差している刀の鞘(さや)同士がぶつかってしまうので、「武士の喧嘩の種」によくなっていたようです。この無用な争いを避けるために、侍のルールとして左側通行が定着していたというのが最も有力で、説得力のある理由だと考えられています。

やがて、江戸幕府が終わり、明治時代に入って同じく左側通行の英国と友好を深めるために、左側通行を正式に交通法として定めたそうです。