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鉄道ファンからの投稿 戦中の状況(その11)

私鉄の統合と国鉄への買収

 1940225日に施行された「陸運統制令」によって、鉄道は陸上交通機関の総動員体制に組み込まれることになり、かなりの数の私鉄や運輸事業者が地域ごとに強制的に統合され、軍需工場への通勤や資材の運搬手段とされた。

 この結果、東京の地下鉄は東京地下鉄道と東京高速鉄道が統合され、帝都高速度交通営団(現在の東京地下鉄)に一本化された。東京の西部ではさらに大規模な合併があり、1944年には現在の東京急行電鉄、小田急電鉄、京浜急行電鉄、京王電鉄、相模鉄道の路線がひとつになった東京急行電鉄(いわゆる大東急)が出来上がった。関西では、1943年に阪神急行電鉄(阪急)と京阪電気鉄道が合併して京阪神急行電鉄、1944年に関西急行鉄道(関急)と南海鉄道が合併して近畿日本鉄道が誕生した。

 また、国策輸送に必要な路線を有する会社は国による強制買収の対象にされ、前述の阪和電気鉄道(同社は1940年に南海鉄道に統合されていたため、この時は同社の山手線となっていた)や中国鉄道(現在の津山線)などといった会社の保有していた路線が、国鉄のそれに組み込まれることになった。豊川鉄道・鳳来寺鉄道・三信鉄道・伊那電気鉄道の4社によって運営されていた路線が買収によって一本化され、飯田線となったのもこの時である。この路線は図らずも、終戦前の国鉄においては最も長い電化区間となった。

 軍事関連輸送の強化

 国家の総力を挙げて戦争を遂行するため、膨大な原材料が軍需工場に運ばれ、武器や食料などが基地や戦地へ送られた。この大量の貨物を運搬するため、国鉄では様々な対策がおこなわれた。

 弾丸列車計画に基づいて工事を始めた日本坂トンネル・新東山トンネルは、計画中断後も工事が継続され、東海道本線の輸送力強化のために使用された。さらに関ヶ原近辺の下り線も1943年に勾配改善工事が完了し、20 – 25パーミルの上り坂が10パーミルとなった。本州と九州を線路で結ぶ関門トンネルは1936年に着工され、陸軍の強い後押しにより戦争中も工事が続けられて1942年に1線、1944年に複線化が完了した。

 私鉄では名古屋周辺の多数の中小私鉄を併せて1935年に名古屋鉄道が設立されたが、路線は名古屋市内の新名古屋と神宮前間で分断されていた。名古屋地区は零戦などを製造していた三菱などの軍需工場が集中しており、工員輸送の便を図るために戦争中の1944年に上記区間を開通させた。

 国鉄の旅客列車はスピードダウンが目立つようになった。19432月頃より、軍事貨物列車を優先させるため、長距離の特急や急行列車は順次削減すると同時に、貨物列車のスピードに合わせて速度を低下させるダイヤ改正が行われた。1944年には特急列車が全廃され、1等車・寝台車・食堂車も廃止された。輸送量の増大に対して、1943年にはD51形を上回る強力な貨物用機関車D52形が完成し、D51形と共に大量生産された。1944年からは、大都市圏の軍需工場通勤用として片側4扉の63形電車が生産された。戦争末期に作られたこれらの車輌は「戦時設計車」と呼ばれ、部品の簡略化、安全設備の不備、生産工程の簡易化など、いわば“粗製濫造”相当の代物であった。

 

さんまの梅煮

先日、事務所で、さんまをいれたクーラーボックスを洗っていると、隣の会社の人に「どうしたの?」と聞かれ、さんまの話になった。

とても、料理上手の人達で、「新鮮なさんまは刺身にするとおいしいよ」と言ってくれました。

しかし、私にはそこまでの料理技術はないので、1日目はグりルで塩焼き、2日目は久しぶりにさんまの梅煮にしました。

梅煮は醤油と砂糖と梅を入れて、煮るだけで簡単で、酸っぱくないので梅が苦手な人も大丈夫です。

以前にも、タコは里芋と一緒に煮るとおいしいよと隣の人から教わり、色々と教わってます。

少しでも、料理の幅を広げていきたいなと思います。

 

【癒し】

我が家には私が子供の頃、犬2匹と猫2匹を飼っていました。
犬と猫どちらも雑種なのですが、家族皆に可愛がられていましたが、
今はもう、全て死んでしまっておりません。  
古い昔の話ですが良く癒されてましたね。
悩み事があると良く「どうしたらいいもんかね~?」なんて話かけてましたね。(笑)
特に反応がある訳では無いけれど、話を聞いてくれてるだけで当時はありがたい気がしまたね。
今現在は飼っていないですが、テレビなどで犬や猫が映ると「また飼いたいなあ~」なんて思いますね。
どちらかと言うと私は猫派なんですがね~
飼っている人が羨ましいですね。

タコは悪魔or妖怪

デビルフィッシュの異名を冠され、特に地中海諸国以外の欧州及び英米では食用にするなど本来考えたこともないであろうタコという生き物ですが、確かに見た目だけ考えればそれも仕方ないという気はします。

日本では縄文時代にはすでにタコツボで捕獲され、食用とされてきたタコですが実は「妖怪」扱いされてきたものもあるようです。

ムラサキタコ(別名コロモタコ)というタコです。海中・海面で生きる「浮遊性タコ」の一種ですが足の間に翼と見まごう大きな膜を持ち、有毒のエイや流木に擬態する。擬態にて天敵を誤魔化しきれねば膜を切り離してこれの視界を遮るという行動をとるそうで、

この行動から、膜で船を包んで沈めてしまう巨大なコロモタコという妖怪伝承が生じたようです。

 浮遊性タコのご多分にもれず、このタコも水っぽくて食えたものではないそうですが。

二十四節気

 1024日 霜降(そうこう)

早朝に霜が降り始める頃と言う意味。晩秋を迎え、北の方では朝霜が降り、山々は紅葉に染まります。

 霜を詠んだ句

 

 水霜を たもちて菊の 重さかな      宮沢賢治

 霜枯れに 咲くは辛気の 花野哉    松尾芭蕉

 

 ※(辛気)は心がくさくさすること。 冬枯れてしまった野に花は咲かない。

    春から秋まであんなに花が咲いた花野も今や花はなく、

    (辛気の花野)と言うべき状態と言う意味。

 早朝は少し肌寒いですが、過しやすい季節になってきました。

鉄道ファンからの投稿

戦中と終戦直後の状況(その10

 日中戦争・太平洋戦争(第二次世界大戦)の勃発に伴い、鉄道は戦時体制に組み込まれ、前述した産業用鉄道の国有化や私鉄の統合の他にも、「不要不急の旅行」を抑制する動きが目立つようになっていく。満州・中国方面への視察、伊勢神宮や橿原神宮などといった「皇国史観教育」・「武運長久祈願」による聖地参拝旅行といった例外も当初は存在したが、軍需輸送を優先させるために国鉄においては、1943年(昭和18年)2月以降は旅客列車の削減が行われるようになり、1944年(昭和19年)には特急列車・一等車・食堂車・寝台車が全廃された。このことは、戦況の悪化が総力戦体制を、それまで見逃されていた特権階級(高級将校や財界人など)にも次第に強いるようになっていったことを示すものでもあった。

サイパン島陥落以後、鉄道施設に対する空襲も本格化するようになり、駅や車両に甚大な被害が出たり、走行中の列車が艦載機の攻撃を受け、死者を出す例も発生した(湯の花トンネル列車銃撃事件など)。ただ、破壊された後に復旧が困難になる鉄橋に関しては、何故か大きな攻撃を受けることがなかった。とはいえ、沖縄県の鉄道のように地上戦の結果、完全に破壊される所も出るなど、日本の鉄道網は甚大な被害を受けた。しかし復旧へ向けての関係者の取り組みは早く、東京大空襲の翌日には一部の国電が動き、広島原爆投下の2日後には山陽本線、3日後には広島電鉄の一部区間が営業を再開したほどである。そして1945年(昭和20年)815日という玉音放送があった日も鉄道の運行は続けられ、国民を立ち直らせるのに一役買ったとも言われている。また、進駐してきたアメリカ軍が当初日本の鉄道は運行不可能になっていると予想し、ディーゼル機関車や貨車をフィリピン経由で輸入することにしていたが、鉄道が曲がりなりにも動いているのを見て驚き、それを中止させたという逸話も残っている。

 空襲の他、戦後には敗戦のショックに伴う乗客の道徳荒廃等により、多くの設備・車両が破壊されたが、資材や労働力の不足により復興は遅々として進まなかった。しかし、復員列車や買い出し列車など旅客の需要は急増し、その一方で石炭不足から列車は戦時中より削減された。その結果、旅客需要に答えるために過度の運行をせざるを得ず、鉄道事故も相次いだ。だがそのような下でも、進駐してきた連合国軍に関する輸送は最優先で行う必要があり、当時の日本人には縁がないほど豪華な設備を備えた連合軍専用列車が、全国で運行されるようにもなった。

 

 

 

人気者?

休日の前夜は、毎回の様に子供から「明日は、何処いくの?」「明日は何して遊ぶ?」と

声がかかります。

週に1回の休みだから、楽しみにしているんだろうなぁ、っと思い「何して遊ぶ?」と

聞き返します。答えは、いつも「公園」です。

最近、自転車(補助付き)に乗り始め、近所の公園に行くのが楽しいようです。

自転車を漕ぎながら、いろんな話をしてくれます。友達とこんな遊びしてるとか、

この間は、遠い公園まで自転車で行ったとか、とても楽しそう。

公園では、ブランコ・鉄棒・滑り台・砂場 一通り遊ぶので、ついていくのが

やっとです。ここは、○○してって、言ってきて、思い通りにならないと怒るし、

しんどいやら、楽しいやら。

毎週では、しんどいですが、今のうちだけだから、と背中を押されながら

遊んでいます(本当は、相手にしてもらって嬉しいのかも・・・)

今度の休みは、何して遊ぼうか?。

国慶節

中国は国慶節で日本に大勢の来日があり、
観光地では中国語をよく耳にする。
爆買いから少しずつ変わって
日本の観光をメインにする人もふえてきているとのこと。
短い間だけれども爆買いではなく、
日本のよさを味わっていだけたらな、と思う。