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鉄道ファンからの投稿

第二次世界大戦前の黄金時代(その9

 

地下鉄と路面電車

 

この頃、大都市の高速輸送機関として地下鉄が建設されるようになった。東京では、1927年に東京地下鉄道(後の東京メトロ銀座線)が上野と浅草の間を電車で結び、1935年には新橋駅まで延長した。大阪では、大阪市営地下鉄が1933年に梅田心斎橋間(後の御堂筋線)で開業し、1935年に難波駅、1938年には天王寺駅まで延長した。

 

地下鉄はその後、大都市に不可欠な交通機関として発達してゆく。なお、戦前に都市交通機関として開業した地下鉄路線は前記二都市のもののみであったが、郊外私鉄が地下線を採用して都心部に乗り入れたというものでは、1925年開業の宮城電気鉄道(今の仙石線)を初として、関西圏を中心にいくつかの路線が開業していた。

 

都市内の交通機関としては路面電車が発達した。京都(1895年)、名古屋(1898年)、東京(1903年)、大阪(1903年)等の大都市はもとより、北は旭川から南は那覇までの地方中核都市にも路面電車の軌道が敷設された。

 

弾丸列車

 

1940116日の「鉄道会議」で可決された「東京・下関間新幹線増設に関する件」は、東京から下関まで国際標準軌間の別線(複線)を建設する内容で、東海道本線と山陽本線の抜本的改善を目指すものであった。この計画は一般に弾丸列車と呼ばれた。

 

路線経路は現在の東海道新幹線と山陽新幹線に相当するが、現在の新幹線が国内の人的輸送に特化した電車であるのに対し、弾丸列車は下関から朝鮮半島や中国大陸への人や物資の輸送を考慮したもので、旅客以外にも高速貨物列車・荷物列車などを設定することにしており、機関車牽引を想定していた。また電化区間は一部のみで、蒸気機関車の使用も予定しており、旅客列車の最大速度は電化区間で200 km/h、非電化区間で150 km/hとされた。

 

この計画の推進には、当時中国大陸で戦火(日中戦争)を拡大していた、軍部の意向も強かったと言われている。建設工事は同年8月に新丹那トンネルと日本坂トンネルから着工されたが、第二次世界大戦で日本側の劣勢が明らかになった1943年に、日本坂トンネルと新東山トンネルを除く他の工事は中断された。この2トンネルは1944年に完成して在来線に使用され、戦時輸送や戦後の復興に貢献した。

 

外地の状況

 

第二次世界大戦前に日本が領有していた朝鮮・台湾・樺太などの鉄道も日本の手によって建設された(それぞれ、大韓民国の鉄道・台湾の鉄道・樺太の鉄道を参照)。また満州においては、日露戦争で権益を得て設立された南満州鉄道が現地の開発を進め、「あじあ号」のような豪華列車も走らせた。

 

我が家の主 2匹目雌3歳

生まれて1週間以内で我が家に貰われてきて、はや三年歩く事もよたよた歩きだった娘も大きくなり子宮削除手術もすませ元気に走り回っています。しかし家から1歩も外に出ようとはしません。また来客が来ると、姿を隠し帰るとどこからかテ出来ます、そんな怖がりのところが可愛い【シオ】

 

 

 

調理例のご紹介(たこのマリネ)

先日ご案内した新製品を使って作りましたので、ご紹介します。

たこのマリネ

調味液を作る【お酢(大さじ2)・砂糖(大さじ1)・オリーブオイル(大さじ1+1/2)】

食塩・胡椒(私の好みは、粗挽き黒胡椒)をお好みで入れてください。

たこは、(3~5本/Kg)を使ってスライスすると1枚の面が大きくボリューム感あり。

(6~8本/Kg)のスライスも食べやすさでOK。

分量は、たこスライス150g(目安)と玉ねぎスライス(1/2個)をボウルに入れ、

調味液と混ぜ合わせ、冷蔵庫で1晩(目安)馴染ませる。

あとは、盛り付け。写真には、ミニトマトですが、彩りで、ピーマン・パプリカも。

また、砂糖の分量(大さじ1)は、少し多いみたい(個人的感想/甘い)なので酸味を

楽しみたい、という方には、投入量の調節をおすすめします。

新製品のご案内②(たこ唐揚げ)

たこのことならお任せ!パナフーズの新商品
【たこ唐揚げ】
【商品画像】

商品名:たこ唐揚げ  荷姿:1Kg×12P  価格:950円/Kg(大阪蔵前価格)

特徴:一口サイズでお召し上がれる様に仕上げております。

時間が経過しても衣剥がれが無い・スパイスの効いた味付けは、

当社のこだわりです。ビールとの相性は、抜群です。

【当社の推奨する調理例のご紹介】

①たこ唐揚げ

<作り方>

凍ったまま175℃の油で約3分揚げてください。

柑橘系(レモンなど)を添えて、南蛮酢に漬けるとさっぱりとお召し上がれます。

※商品詳細は、HP上段の「取扱商品」をクリックしてご覧ください。

 

新製品のご案内①(伸ばしたこ)

たこのことならお任せ!パナフーズの新商品

【伸ばしたこ】

【商品画像】

商品名:伸ばしたこ  荷姿:1Kg×12P  サイズ:①3~5本/Kg  ②6~8本/Kg

価格:1550円(Kg)(大阪蔵前価格)

特徴:真たこの足だけを茹で上げています。1本ずつ真空パックにして

無駄なく使い勝手のよい形態にしており,いつも新鮮なタコをご提供できます。

そのままでお寿司・お刺身に。洋食(イタリアン・スペイン料理など)など幅広くお使い

いただけます。

【当社の推奨する調理例のご紹介】

①たこのカルパッチョ

<作り方>

お酢/大さじ5   オリーブオイル/大さじ2   めんつゆ/大さじ1  塩・胡椒は、お好みで。

タコ(2~3足)、きゅうり(1本)、玉ねぎ(1/2個)をそれぞれカット。

お皿にトマトの輪切りをのせ、タコ・きゅうり・玉ねぎをのせ、調合調味液をかけて出来上がり。

(写真は、調理例  材料は、4人分です)

 

②たこのデカネタ寿司・お刺身

伸ばしタコを大きくスライスしてください。素材味を楽しめる逸品になります。(写真は、調理例)

③たこのガーリック炒め

<作り方>

たこと長芋は同量(150g目安)を角切りにして、オリーブオイル(大さじ1)で

にんにくのみじん切りを炒める(長芋に色が付くぐらい)

あとは、塩・胡椒・パセリをかけて出来上がりです。(写真は、調理例  材料は、4人分)

④たこのガリシア風

<作り方>

たこ1~2本を輪切りにし、オリーブオイル・赤パプリカ粉・食塩で和えます。

赤ワインとの相性も良いようです。(写真は、調理例  材料は4人分)

※商品詳細は、HP上段の「取扱商品」をクリック してご覧ください。

 

 

 

 

 

タコの干物

あぶり焼き或いはたこ飯の具が定番のタコの干物ですが同じ干物でもイカを用いた「スルメ」に比べて明らかにマイナーです。

 どうも大型のタコは「干しても乾燥する前に腐ってしまう」との事。よくよく考えてみるとかなり薄いスルメイカの身に比して、タコの身及び足はかなり分厚いですね。

 となるとスルメイカをスルメにはできてもコウイカをスルメにはできないのでしょう

二十四節気(白露)

2015年は、98日 及び秋分までの期間。

処暑から数えて15日目頃、 この日から仲秋になります。

 

草の葉に白い露が結ぶと言う意味。

夜の間に大気が冷え込み、草花に朝露が宿ることから名づけられたそうです。

 

野には薄の穂が顔を出し、太陽が離れていくため空が高くなるなど、本格的な

秋の到来を感じられる頃です。

 

   白露や茨の刺にひとつづつ     蕪村

 

      秋も深くなり、あたり一面に露が降りている。 いばらに近づいてみれば、

      その鋭い刺の先の一つ一つに露の玉がくっついて輝いている。

第二次世界大戦前の黄金時代(その8)

鉄道ファンからの投稿

私鉄の発展

1930年までには、現在大手私鉄と呼ばれている鉄道会社の主要路線が開通している。現:相模鉄道以外は、この段階で既に電化されていた。私鉄の路線建設や経営に関しては、東武鉄道の根津嘉一郎、西武鉄道の堤康次郎、東京急行電鉄の五島慶太、阪急電鉄の小林一三など個性的な経営者が輩出し、鎬を削った。路線敷設の権利問題では種々の裏話もあり、「ピストル堤」(堤康次郎)や「強盗慶太」(五島慶太)など、物騒な通称で呼ばれた経営者もいた。

 

乗客誘致のため、沿線の宅地開発を行ったり、遊園地などの集客設備を作った例も多かった。阪神電鉄は1924年に甲子園球場を建設し、1935年にはプロ野球チーム大阪タイガース(後の阪神タイガース)を設立したが、ライバルの阪急電鉄は翌年阪急軍(後の阪急ブレーブス)を設立して対抗した。これらの施策は多くの会社で行われ、関西圏に多くの球団が存在する要因となった。

 

また、ターミナル駅へのデパート併設は1920年の阪急梅田駅が最初で、その後各私鉄のターミナルに次々とデパートが設置されるようになった。

 

鉄道国有化による買収が終了した後も、小規模ながら私鉄が国有化される事例があった。多くは改正鉄道敷設法に記された路線に該当するという理由によるものであったが、第二次世界大戦中には戦時買収私鉄として、国策上必要な産業用路線を有する路線も国有化対象になっている。残存私鉄においても、戦時体制の下では地域ごとに集約する方針が1938年(昭和13年)の陸上交通事業調整法により定められ、東京急行電鉄(大東急)や近畿日本鉄道(近鉄)のような巨大会社も出現した。

 

高速電車

 

各私鉄は、自分の路線に合った特徴ある電車を開発し乗客を誘致した。それまでの電車は、短距離の運転のみに使われる前提で製造されたため、3扉ロングシート車が主体であったが、この頃建設された観光路線や都市間の長距離路線に使われた電車には、2扉クロスシート車が充当された。以下当時の2扉クロスシートの高速電車を列記する。

東武鉄道は、日本を代表する観光地の日光へ直通する東武日光線にデハ10系電車を投入した。

京阪電気鉄道のバイパス線として作られた新京阪鉄道のP-6形電車は、京都府の山崎駅付近で超特急「燕」と競争した。

参宮急行電鉄の2200系電車は、大阪市から伊勢へ長躯 (137 km) した。

阪和電気鉄道(現在の阪和線)はほぼ同じ区間を走る南海電気鉄道の後発であったが、モヨ100形電車等の高速電車を採用し、大阪の阪和天王寺駅と阪和東和歌山駅の間をノンストップで走らせて、戦前の最高表定速度である81.6 km/hを記録した。

 

これらは後に名車と称えられることになる画期的な車両であった。私鉄との激戦となった東海道本線京阪神間では、鉄道省(国鉄の当時の運営組織)は流線型の52系電車を製作し、高速運転をする「急行電車」(急電)を設定して私鉄に対抗したが、これは現在同地域で設定されている、「新快速」と同じ性格の列車であった。

秋祭り

10月2日から4日に行われる今年の秋祭り

●私の地元である『堺浜寺』(旧下村)

大鳥大社のだんじり祭りは、安土桃山時代の文禄(1592)元年に始まり、

だんじり祭りの発祥ともいわれている。

鳳(大鳥)のだんじり祭りは、約400年前から行われているとの説がある。

泉州地区で最も有名である岸和田だんじり祭りが約350年前からといわれており、

だんじりのルーツは、大鳥なのだろうか。

大鳥地区を含む、大鳥・野田・新在家・北王子・野代・長承寺・上(鶏鳴)・石橋・

富木・濱寺元町の10台はの地車が夜も提灯を灯して疾走するのが特徴で、

堺のだんじり祭りでは、最も多くの観客で賑わっていたそうです。

若い頃は、祭りの季節になると、よく「血が騒ぐ」と言いますが、その言葉が通り

血が騒いだものです。いまは・・・・・・・・・・。

毎朝の日課に

7月に夏休み入ると同時に、我が家のベランダに朝顔とミニトマとの

鉢植えがやってきた。朝顔は学校から、ミニトマトはおじいちゃんから。

毎日、水をあげて育ててねって。

最初の1週間ぐらいは、毎日夕方に水をかけて、早く咲かないかなぁ?

赤いトマトにならないかなぁ?って毎日の楽しい親子の会話だったのですが、

8月に入り毎日暑い日が続きだすころには、水やりがわたしの当番かのように

なっていました。夕方が無理なので、毎朝起きてから水を撒いて、ツルや葉を絡まない

ように揃えてきれいな花を咲かせてね。赤いトマトになってね。などと話掛けながら。

そんな時、ふと、私が子供のころを思い出します。そういえば、自分も同じように、最初は

一生懸命水を撒くんだって頑張ってたけど、いつの間にか水やりをしなくなって・・・・。

ひとりニヤニヤしながら、親父もこんな気持ちだったのかなぁって。今は、毎朝の日課。

今朝は、朝顔が2ツ咲きました。