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暑い日が続いてますが・・・

今週は、さすが「夏」という暑い日が続き、冷たい物ばかりを

飲む・食べるようになりますが、こんな暑い日でも温かいお茶・

温かいうどんが良いようです。暑いときには汗をかく。

自然にまかせた生活が身体には良いようです。

とは言っても、エアコンの効いた部屋からは出にくいし、

ついつい涼を求めがちに。たまには、エアコンなしの

自然の風で過ごす日を作ろうと思います。

盆栽

夏の植栽への水やりは大変です。

父は、私の子供のころから盆栽にはまり、
皐月、松、楓、寄せ植えとそれはたくさんありましたが
父の高齢に伴い一つ減り二つ減り、寂しくなっていきました。

植え替え、剪定、針金かけ、肥料と作業は
たくさんあります。
残された盆栽を大事する為にいよいよ勉強しないといけない
と思った1日でした。

 

携帯電話が。

今ではなくてはならなくなった携帯電話ですが、つい先日、知らない間に落としていました。
買い物をして多分1時間ぐらいで駐車場に戻って車に近づいていると、
今にも過ぎ去ろうとしている一台の車から声を掛けられました。 
「この車お宅のですか・・・?」と。
「そうですが・・・」と答えると、携帯電話をみせてくれて「これ落としませんでしたか??」と。
なんと、私は落としたことにも気付かず、呑気に買い物をして帰ろうとしていたところでした。
ジャストのタイミングで私たちが車に戻ってきたので拾ってすぐに私に携帯電話が戻ってきました。
拾ってくれた人は交番に届けてくれようとしていました。
日本も治安が悪くなったと、近頃ではよく耳にしますが、まだまだやっぱり親切な人もいるな~と、
心からそう思えたうれしい出来事でした。

麦茶

梅雨も明けて、7月もあとわずかになりました。

晴天が続いたので、我が家では麦茶の消費が急に増えました。

実は1年中、我が家では麦茶が冷蔵庫にあり、夏の間はペットボトル3本ほど常備。

子供たちが小さい頃から、冷蔵庫には麦茶と牛乳、スポーツ飲料しか置いてなかったので、

たまにジュースを買うと大喜びでした。

私が、子供の頃は父がビールを飲むので、酒屋さんでビールを配達してもらうのでついでにジュースもケースで買ってもらっていました。でも、暑い夏はやかんごと麦茶が冷蔵庫にあったので麦茶ばかり飲んでいたような気がします。

8月には、子供たちが帰省するので、麦茶づくりも多くなりそうです。

 

タコは賢い、しかし・・・

タコが賢い生き物であることは有名です。「最も賢い無脊椎動物」と呼ばれ、エサの入ったネジ蓋のビンを開ける事もできます。

 だが、ニホンザルのようにイモを海で洗うといった経験に基づく知恵を集団或いは世代を超えて伝えて行く事はできません。ほぼすべての親ダコが卵の孵化と同時に死んでしまうから・・・些か切ない事実です。

夏風邪

毎週 休みの日には自転車で夫婦で妻の父のお見舞いに行き、
帰りは妻の母の実家行くのが休日の過ごし方です。

先日の連休時も いつもと同じ過ごし方をし
帰宅すると、暑くてクーラーを強にし牛乳を一気飲み。
その後 1時間ぐらい横になってしまい、、、クーラーを止めても寒い、、、夏風邪だ。
晩御飯も食べられず。

猛暑には程良いクーラーの温度管理って言うより普段からの体調管理が
必要だと
年々 思う次第です。

少年期の夏には扇風機の前で冷えたスイカを食べた思い出がよぎりました。
古き良き時代

皆さんも夏場の過ごし方に ご注意を

二十四節気(大暑)

大暑(たいしょ) 7月23日頃及び立秋までの期間。
小暑から数えて15日目頃(だいしょ)とも言います。
いよいよ本格的な夏の到来です。 最も暑い頃という意味ですが、
実際の暑さのピークはもう少し後になります。
打ち水
 大暑の日に合わせて、各地で行なわれる打ち水のイベントも、
 慣例行事に。
 打ち水とは、道路や庭に水をまいて土埃を防いだり涼を得たりすることで、
 昔から伝わる生活の知恵です。
 元々は神様が通る道を清めるためのものでしたが、江戸時代には、
 主に涼を得ることが目的となりました。
   水うてや蝉も雀もぬるる程    其角

梅雨明け

昨日ラジオのニュースを聞いていてると中国地方も梅雨明けをしたと流れた。

今年は例年よりも梅雨明けが遅いように感じていたがニュースを聞く限りでは例年とほぼ変わらない梅雨明けだったようです。

梅雨明けと同時に父が海外出張から6日間だけ家に帰ってきた。

帰ってきてから次の日には兄が住んでいる仙台旅行へ夫婦で2泊3日で兄に会いに行き1日家で過ごし最後の1日は妹と姉に会いに大阪へ。

自分は仕事や友人との約束があり久々に帰ってきた父に自分の事を話できなかった。

海外でもスマホを使えば簡単に連絡できる時代だが、やっぱり家族は面と向かって話すのが一番だと感じた。

味付たこを使ってサラダ

味付たことマヨネーズの相性は良く。野菜などと混ぜると尚良い。

味付けダコサラダの作り方

準備するもの (味付けダコ、キュウリ、マヨネーズ)

1、味付けダコを適当にスライスする。

2、キュウリを細切し、塩振り、水分を絞る

3、味付けダコとキュウリをマヨネーズを適量入れ、混ぜ合わせれば出来上がり。

※キュウリの代わりにタマネギスライスでも美味しいです。

鉄道ファンからの投稿

第二次世界大戦前の黄金時代(その7)

 

D51形蒸気機関車

1930年代には、国鉄の路線網が充実し幹線の輸送力強化の効果が出て特急列車の増発やスピード向上が行われた。都市間を結ぶ私鉄では国産の大型高速電車を投入して、蒸気列車をしのぐ高速運転を行った。機関車は貨物用機の決定版として1,115両生産されたD51形(軸配置1D1出力1,280馬力)と、急行旅客機C59形(軸配置2C1)が生産され、またEF52形等、電気機関車の本格国産化も始まった。D51を設計したのは島安次郎の息子で、後に新幹線建設に携わる島秀雄であった。

 

特別急行列車

 

特別急行列車、略して“特急列車”の名が使われたのは、1912年の東京・下関間直通列車が最初である。1929年、これに対し列車愛称を付けることになり、一般公募から東京・下関間の1等車・2等車特急に「富士」、同区間の3等車特急に「桜」が採用された。翌1930年、超特急と呼ばれた「燕」が運行を開始。それまでの特急は東京と大阪の間を11時間かかって走っていた(表定速度51.7 km/h)が、「燕」はその区間を8時間20分(表定速度66.8 km/h)で結んだ。「燕」は人気が高く、後には「不定期燕」も増発され、その後も東京・神戸間に特急「鴎」が設定されるなど、特急列車の増発が行われた。1940年の東海道本線下りダイヤでは、上記5本の特急のほか、急行列車として名古屋行き(1本)、大阪行き(3本)、神戸行き(3本)、下関行き(5本)が設定されていた。このうち、名古屋行き急行を除くすべての列車には食堂車が連結されており、「燕」・「富士」・「鴎」、そして下関行き急行列車のうちの1本には、豪華な1等展望車が連結されていた。