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鉄道ファンからの投稿(日本の鉄道史)

創成期の日本の鉄道状況について②

 

山陽の鉄道

山陽鉄道は神戸から広島を経由し、馬関(現下関)に至る路線(現山陽本線)を敷設。

1888年設立、1894年に広島迄完成、この年の8月に日清戦争が始まり、中国大陸への

船積基地となった広島と宇品へ日本各地から軍隊や物資が輸送された。これらの人や

物資の輸送には、官営の東海道線と私鉄の山陽鉄道や日本鉄道の輸送力が使われた。

山陽鉄道は、瀬戸内海航路との競争を強いられたという事情もあり積極的な経営で

知られ、日本初の様々なサービスを生出している。急行列車の設定(1894年)入場券の

発売(1897年)列車ボーイのサービス(1898年)食堂車の営業(1899年)寝台車の連結

(1900年)など、いづれも官営鉄道より早かった。また私鉄として唯一、自社工場で

機関車23両を製造した。

 

九州の鉄道

九州鉄道は門司(現門司港駅)から八代、三角、長崎、小倉から分れて行橋に向かう

路線の敷設(後の鹿児島本線、三角線、長崎本線、佐世保線、大村線、日豊本線)を

目指して建設された。ドイツ人ルムシュッテルの指導の下、ドイツより輸入した車両を使って

1891年までに、門司―熊本間、鳥栖―佐賀間が完成。筑豊炭田の石炭輸送により、

1899年からは貨物収入が旅客収入を上回った。その後安定した経営が続いたので、

1907年の鉄道国有化には賛成しなかった。

 

日清・日露戦争への貢献

 

日本の鉄道が戦争に使われたのは、1878年の西南戦争が最初である。当時京浜間と

京阪神間のみの運転であったが、軍隊の集結や港への輸送に大きな効果があった。

1894~1895年の日清戦争、1904~1905年の日露戦争は明治維新後の日本の国の総力

を挙げたプロジェクトで、鉄道も戦争遂行のために大きな役割を果した。

 

日清戦争

日清戦争は山陽鉄道が広島迄到達した翌月に勃発した。当時の鉄道の西の終点にあたる

広島は、大陸に最も近いターミナルとなった。広島には戦争指揮にあたる明治天皇と大本営

が滞在し、近くにある宇品港は大陸への積出港としての役割を担った。各地の軍隊や

軍事物資は官営鉄道や私鉄を乗り継いで広島に集結した。

 

日露戦争

日露戦争の規模は日清戦争より大きく、鉄道における軍事物資の輸送も日清戦争を大幅

に上回った。輸送した人員は88万6千人、宇摩13万8千頭、貨物26万2千トンに達した。

戦争中はこの輸送を達成するため一般の輸送は大幅に削減された。しかし、大規模私鉄

の割拠は戦争遂行には大変不便であった。例えば、弘前師段団の出征は、弘前―福島が

官営、福島―品川が日本鉄道、品川―神戸が官営、神戸―広島が山陽鉄道、広島から

船で大陸に渡った。これらの輸送の実施には、各鉄道間のダイヤや車両の遣り繰りや事後

の運賃精算など、煩雑な業務が発生した。このことが、戦後の鉄道国有化に繋がってゆく。

 

 

冬の必需品

寒い冬を少しでも、快適に暮らそうと、寒さ対策に私は、湯たんぽを使っています。

毎日、帰宅するとすぐにやかんで水を沸かして湯たんぽを用意します。

湯たんぽも、昔ながらのブリキのもので、確か、尼崎の名産品の一つになっているものです。

これを、布団に入れておくと、寝るときに布団が暖かくて気持ち良く寝れます。

ただ、低温やけどに注意しなければいけませんが、ここ数年は冬の必需品になっています。

そして、去年から、耳あても冬の必需品に追加しています。早朝の犬の散歩や自転車に乗るときは欠かせません。

おかげで、寒い冬も私なりに楽しんでいます。

泳ぐタコ

 タコは這う、岩や砂に隠れる海底の生き物というのが我々の一般的なイメージですが、実は海中の上層、中層さらには深海に至るまで泳ぎ、漂い生きているタコがいます、いや生物科目としては圧倒的にこちらの方が多いようです(浮遊性タコ11科に対しマダコのように海底に生息するのは1科のみ)。

 これら浮遊性のタコは生態などよくわかっていないものが多いのですが、一つ共通しているのはどれもこれも

「まずくて食えたものではない」

という事だそうです(笑)

瀬戸内海の西風

瀬戸内海は冬は西風が非常に強くなる。

タコを含めて、漁師が出漁出来る日は限られてくる事になる。

さらに、淡路島の西側は瀬戸内海を吹き抜ける西風が直接ぶつかることになり、出漁条件は厳しい。

トラックで瀬戸大橋を渡るときはヒヤヒヤする事も多い。

私自身、寒いのはとても苦手だが、冬の瀬戸内海の西風は非常にやっかいな存在である。

その冷たさも強さも。

一方で、瀬戸内海沿岸は夏の夜は風がピタッと止むことが多い。

寒さが大の苦手な私も、岡山の夏の夜には閉口する。

これはただの我儘?

 

蛸の松

天明元年(1,781年)創業、 大阪の老舗海産物問屋が販売している
塩昆布のパッケージに蛸の松の絵図が使われています。
江戸時代の中之島は、諸藩の蔵屋敷が立ち並び、 中でも枝が四方にたれ下がった
一本は、蛸が泳ぐ姿を思わせたため、蛸の松と呼ばれるようになったそうです。
明治44年に枯れてしまったのですが、現在の蛸の松は、堂島川の右岸・田蓑橋の袂に
あり、2.004年に護岸工事の一環として植えられたとの事。
機会が有れば一度見てみたいと思います。
 
 それにしても、美味しかった「塩昆布」 !

電気代

少し前、体の具合が悪くなり寝込んでいました。暖房をつけたいところですが我が家のエアコン、10年以上前のものでかなり電気代を食います。なので普段はつけないのですが、体のことをおもって少しの時間だけつけました。数日後に来た電気使用量の明細、明らかにエアコンのおかげで上がっています。まあ分かっていたことですが。買い替えようかな…

 

鉄道ファンからの投稿(日本の鉄道史)

創世記の日本の鉄道状況について①

 

東海道線

当初東京と関西を結ぶ路線は中山道経由とされていた。これは、東海道筋は海運が盛んで

運賃の高い鉄道は余り使用されないであろうとする見方、それに東海道筋は海に近く、外国の

攻撃を受けやすいという陸軍の強い反対があったためとされる。明治6年(1883年)に建設が

認可され、高崎―大垣間の建設が始まったが、山岳地帯を通るため難所が多く工事は難航した。

そこで、明治19年、陸軍の大立者山縣有朋を説得の上、伊藤博文総理大臣へ相談して、東海道

へルート変更することが決定した。これを受けて東海道線の建設が急ピッチで進み1889年7月に

全線が開通した。

 

北海道の鉄道

北海道炭鉱鉄道は1889年、営業不振であった官営幌内鉄道の路線を譲り受ける形で発足し、のち

の函館本線、室蘭本線、石勝線などの一部に該当する路線を敷設する。主に、沿線の炭鉱から

産出される石炭を積出港に運搬する役目を担った。

 

東北、関東の鉄道

日本鉄道は、まず東京から養蚕地の群馬県に向かう鉄道路線より建設をはじめ、1883年(明治16年)

に初の路線である上野―熊谷間を開通させた後、1884年に前橋まで延長、さらに1891年(明治24年)

には、現在の東北本線にあたる上野―大宮―仙台―青森間を全通させるなど、短期間で急速に路線を

延ばしていった。

この会社が1885年に開通させた前橋―赤羽―品川のルート(のちの高崎線、赤羽線、山手線)は、

官営鉄道(品川―横浜)と合わせて、当時の主要輸出商品であった生糸や絹織物の産地と輸出港を

結ぶ路線となり、鉄道による産業発展への貢献の第一号となった。

新年を迎え

例年であれば年賀状の作成で旧年を終え、嫁さん手作りのお節と日本酒でめでたく新年を迎えるのですが、昨年、愛犬が他界しましたので我が家では喪中と致しました。

とはいえ、カズノコや黒豆、雑煮(もちろん関西風)、日本酒など最低限度は揃えましたが、年賀状の発送や、初詣は控えて正月を過ごしました。

ただ今、嫁が寒中見舞いを作製しております。引っ越しましたの連絡を兼ねておりますので関係者の皆様、宜しくお願い致します。

マイブーム

いままでは、あまりなかった『マイ・ブーム』。
 
今年は、1月から発生してしまいました。
 
私のマイ・ブームは、『はらまき』です。
 
『はらまき』は、年配の人のものとか・
 
格好悪いとか・寝る時だけとかで敬遠して
 
いましたが、今年から『はらまき』をして出勤しています。
 
 
最近は、冷えるので、靴・腰にカイロ・ズボン下・『はらまき』・
 
セーターとはけるものはなんでも着こんでいます。
 
その中でも、『はらまき』は手放せません。
 
『はらまき』を忘れると、しっくりこないんです。
 
ペースが上がらないというか、落ち着きがなくなるぐらいの
 
必需品になっています。(春先までマイ・ブームが続くかもです)
 
寒いくても薄着で・・・は、昔の話になってしまいました。
 
寒い時は我慢せず、温かい服装で出かけましょう。
 
でも、これで『おっちゃん』に仲間入りなんですね。
 
ト・ホ・ホ!
 

新年を迎えて

年末は毎年のことながら、せわしなく過ぎ去り、あっという間に新年を迎えてしまいました。
特に何処に行くでもなく、寒かったお正月を、ただなんとなくだらだらと過ごしてしまいました。
毎年思うのですが、〝今年こそ・・・″と、色々な思いを巡らせます。
しかし、すごい勢いで月日は流れて、また毎年のようにせわしない年末を迎えてしまいます。
2015年こそ、目標を明確に決めて、年末に達成できたかどうか挑戦してみようと思っています。
まずは健康第一で頑張ります。
今年も良い一年になりますように・・・